2019年05月21日

<数学の女王 「整数論 」 >数学者・志村五郎はなぜ東大を去ったか? 丸山眞男~戦後進歩的知識人との決別の理由 / 志村理論の始まりは・・・「すべての楕円曲線はモジュラーである」

<数学の女王 「整数論 」 >数学者・志村五郎はなぜ東大を去ったか? 丸山眞男~戦後進歩的知識人との決別の理由/志村理論の始まりは・・・「すべての楕円曲線はモジュラーである」
( 志村五郎先生のご冥福をお祈りします。)
知の``継承''が生む創造力 (志村 五郎 米プリンストン大学名誉教授) 2001年11月8日 / 志村五郎先生の「誕生日の素数」のダビンチコードは?「19300223、209563、 691、55787、313289、23333」


( 日本にも「ガウス」はいた! ガウスは、数学の女王は、「整数論」といった!   谷山・志村は「すべての楕円曲線はモジュラーである」といった。)
【今日の数学者】2月23日はガウスの命日であり、志村-谷山予想の志村五郎先生のお誕生日であり、フィールズ・メダリストの森重文先生のお誕生日です。

数学をいかに教えるか 志村五郎著 (ナンセンスな教育を斬る)

大学院入試の思い出  志村五郎 先生 (追悼)  ( 「谷山=志村予想」は、「志村予想」だった! 先生の「誠実さ、優しさ」)数学の統一理論にも貢献!
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(個人的に影響を「平成30年間」に影響を受けた書籍(一部分))

平成30年の「120冊」  個人的セレクト 数学書(数理科学関係 編)

平成30年間の31冊  個人的セレクト 数学書(数理科学関係 編) 洋書(英語版)
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やや専門的な内容

Number Theory and Automorphic Forms 整数論と保型形式
http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~kyodo/kokyuroku/contents/689.html

整数論サマースクール 「志村多様体とその応用」
https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~abenori/conf/20150817.html

整数論サマースクール 「保型形式のリフティング」プログラム
http://www.sci.kumamoto-u.ac.jp/~narita/ss2011_proceedings.pdf

整数論サマースクール報告集 「楕円曲線とモジュラー形式の計算」
http://ntw.sci.u-toyama.ac.jp/ss2017/

整数論サマースクール「多重ゼータ値」
http://www.ist.aichi-pu.ac.jp/~tasaka/ss2018/index.html

整数論札幌夏の学校 肥田晴三教授(UCLA)による講義を中心
https://core.ac.uk/download/pdf/42026066.pdf


ワイルズによるフェルマー予想の解決にも岩澤理論は大きな役割を果たした。 また、これ以外にも日本人数学者の結果が大きく寄与している。例えば、 肥田(晴三)の理論が有効に用いられたし、解決への道筋は谷山・志村予想を 経由するものであった。

数論合同セミナーのページ
https://www.math.kyoto-u.ac.jp/~tetsushi/nt_seminar.html
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数学ミステリー白熱教室 (第1回から第4回)動画(フェルマー予想 から ラグランズプログラム)
https://www.youtube.com/watch?v=octSjc1Sk2U&list=PL6iz98WS2YpRGR2egcplCqKnx6PBr3czn


〔NHKスペシャル〕神の数式 (第1回から第4回) 動画
https://www.youtube.com/watch?v=KjvFdzhn7Dc&list=PL6PDU-7OA2gdvu3jhxo1QABgR9SGeCkCb


素数と宇宙。量子力学と一般相対性理論。分離され停止した空間。
https://www.youtube.com/watch?v=NvRAWCfRy-E

〔NHKスペシャル〕魔性の難問 ~リーマン予想・天才たちの戦い~
https://www.youtube.com/watch?v=Kq347dxQYJY
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1958年 - 国際数学者会議招待講演(エジンバラ)
1966年 - 国際数学者会議招待講演(モスクワ)
1970年 - 国際数学者会議招待講演(ニース)
1977年 - アメリカ数学会コール賞数論部門:"Class fields over real quadratic fields and Heche operators", Annals of Mathematics, Ser. 2, Vol. 95, 1972; "On modular forms of half integral weight", Annals of Mathematics, Ser. 2, Vol. 97, 1973に対して
1978年 - 国際数学者会議招待講演(ヘルシンキ)
1991年 - 朝日新聞社朝日賞:整数論の研究
1995年 - 藤原科学財団藤原賞:アーベル多様体の虚数乗法論と志村多様体の構成
1996年 - アメリカ数学会スティール賞(生涯の業績部門):重要かつ広範な分野におよぶ数論幾何学と保型形式の業績に対して
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 今回は最初に、読書案内から始めよう。志村さんの自伝的なエッセー集「記憶の切絵図」(筑摩書房)と、その続編「鳥のように」(筑摩書房)の2冊である。
志村五郎 記憶の切繪図 鳥のように 700.png

 読む人によって、この2冊から受ける印象は様々であろう。

 私にはこの2冊から、志村さんがどうしても伝えたいと思った第2次世界大戦後の「進歩的知識人」の嘘や、彼らが持っていたソビエト連邦や北朝鮮などへの「無謬神話」の愚かしさ、また60年安保を契機として、志村さんが東京大学に見切りをつけて職を辞し、1年だけ大阪大学に勤務したのち米国に去ってしまった理由が、手に取る様に解るように思われた。

 もちろんそれは、私自身の偏見による読後感に過ぎないだろう。

 ただ、かつて同じ大学に学生として学んだ後、教官として20年以上、大学を中から見て来た一個人として、志村さんの批判は、襟を正して聞くべき本質を数多く含んでいると正味で思っている。そうした点について記してみたい、

21世紀の「坊っちゃん」志村五郎

 志村五郎氏は1930年2月に静岡県浜松市で生を受けたが、そこでの記憶は彼になく、実際に育ったのは現在の東京都新宿区、昭和初期は東京市淀川区の角筈、大久保界隈である。

 角筈と書いて「つのはず」と読む。現在では地名としては残っておらず「西新宿4丁目」などと味気ない行政区画になっている。この界隈はいわゆる「山の手」で、漱石こと夏目金之助(1867-1916)の生まれ育った土地でもある。

 「記憶の切絵図」を手にした人は、この地で育った志村さんの文体から、もし漱石が生きていたなら、こんなスタイルで書いたかもしれないと思うのではないだろうか。

 実際、志村さんの文は目立たぬ随所に彫琢が施されている。例えば・・・

 「切絵図」というのは江戸末期に出された、「江戸市中を三十ばかりの地域にわけて、一地域の案内図を四十五センチ四方くらいの紙に木版で刷ったもの」(同書p.9-10)で、「近吾堂大久保戸山高田辺之図」(1851)と金鱗同尾張屋版牛込市ヶ谷大久保絵図(1854)の中に「志村小三次」として彼の5世の祖の名が記されている・・・といった話から書き出されている。

 だが、読み進めるうちに「記憶の中にある切絵図」と「記憶」を「切絵図」状に読み継いでいくという、2つの含意の中を揺れる志村さんの心憎いレトリックに気がつくだろう。万事そんな具合で、一文一文ウイットに富んで読者を飽きさせない。


例えば、3才に満たない幼児の浜松時代、志村家は引っ越しをし、幼い彼が独りで

 「もとの家に行ったら誰もいず、『猫がいたあ』と泣いて帰ってきたと親たちは面白そうに何度も私に話した。ずっとあとで家内にも話していた」

 「つまり『この人は今はあんなもっともらしい顔をしているが、そうだったんですよ』ということらしい。私は覚えていないから何がおもしろいのかさっぱりわからない。『猫がわらっていたあ』なら多少面白くなるが」(「記憶の切絵図」p.16)


 末尾は言うまでもなく、数学者チャールズ・ドジスンがペンネーム「ルイス・キャロル」で記した「不思議の国のアリス」に登場する、にやにや笑いするチェシャ猫を言っている。

 万事こんな具合で、様々な創意が文体の随所に散りばめられている、彫琢に富みながら、それと嫌味に知らせない、深い教養をさり気なく散りばめた名文と思う。

 素読で漢籍に通じ、少年時代の娯楽読み物が落窪物語であったという志村さんの原点は伊達ではない。が21世紀のティーンにはこういう万華鏡のような文体を楽しむことは難しいのかもしれない。

 上の逸話のように、志村さんはよく「泣く」人だったらしい。

 中国古典文学のさり気ない一節の背景を察して涙ぐんでしまうといった経緯を知り、可愛いところがあるなぁ、憎めないなぁと思ってしまったのが、私が志村さんのファンになった一因である。

 だがもう一点、志村さんは極めて「血の気の多い」人でもあったようで、生前に行き来のあった人には様々な記憶があるようだ。

志村五郎の「丸山眞男」批判

 とりわけ、一時はそれなりに親密にもなりながら縁が途切れた「丸山眞男(1914-96)」氏や、「進歩的知識人」に対する舌鋒は極めて鋭く、それは丸山氏の死後になっても一向に収まらず、むしろ徹底の度合いを深めている。

 これに対する志村さんへの批判があるようだ。そうした中には、しかし志村さんが並行してお書きになっている「竹山道雄(1903-84)」評価などに言及しているものは少ないように思われる。

 竹山道雄は「ビルマの竪琴」で知られる小説家でもあるが、旧制第一高等学校、戦後の東京大学教養学部でドイツ語を教えた文学者であり、また原理から自由を問う先鋭的な思想の紡ぎ手でもあった。

 竹山道雄について、志村さん自身の言葉を引こう。



「私は第一高等学校では理甲で英語のほかにドイツ語を習った。ドイツ語の先生は氷上さん、竹山さんでどちらもよい先生であった」

 このさり気ない一文を、文字の表層で読んではいけない。

 志村さんは東京大学理学部数学科で学生として受講した教授たちについて、極めて点が辛い。ほとんど「なでぎり」状態である。


 そして、竹山さんについては「よい先生」であったと明快に記す。大変な落差がある。

 しかしこれを、「ドイツ語教師として良い先生であった」と浅く誤解すべきではない。

 当時の旧制高校生は生意気が高下駄を穿いて歩いているようなもので、志村さんは人物を見ているのである。

 竹山さんは、明らかに生意気の権化のような志村君をもってしても、一目置かざるを得ない人間としての筋道がぴしっと通った人物であった。

 そして返す刃で、志村さんは戦後の「進歩的知識人」を徹頭徹尾、一刀両断で切り捨てる。

 「もうひとつ『ソ連信仰』があって、この方がより悪質かも知れない。『米国寄りにならずまたソ連にも近寄るのでなく、米国とソ連の間にうまくバランスをとってやるべきだ』といういかにももっともらしい議論をする政治学者や評論家が大勢いた」

 「いわゆる『進歩的知識人』である。それは実は反米をごまかして言っていて、彼らは反共よりは反米の方が受けがよいことをよく知っていたのである。だから彼等の世界の中での公理的保身術に基づいていたと言っても良い」(同書p.124)

 とりわけ、以下の記述に注目すべきだろう。

 「竹山道雄はそれとは違って共産主義国を一貫して批判し続けた。彼は共産主義国信仰の欺瞞を極めて論理的かつ実際的に指摘した」

 「それができてまたそうする勇気のある当時ほとんどただひとりの人であった。いつの世の中でも正しいことを言うよりは、世間の受けのよいレトリックを弄するほうが安全で、そんな連中がはばをきかせるものである」〈同書p.124 継続部分〉

 2019年の日本もまた、この例外であるとは全く思えない。


「彼はまた東京裁判の甚だしい不当性と非論理性を言った。今となっては彼がほとんど常に正しかった事は明らかである」

 「ベトナム戦争の時には論理や主義と行動の有効性を区別すればよかったと思うが、それは彼のなしとげた仕事の偉大さを減じるものではない」(同上)

 いったい、世の中に様々な「碩学」と言われる人がある中で、どれほどの割合が、自分の分野、例えば数学、から完全に外れた領域について、盲従的な個人崇拝などではなく、厳しい批判的な視線で多くの文献をチェックしながら、先人の業績の「偉大さ」をはっきり明言できるだろう?


 「それは専門外でして・・・」式の、その実、思考以前の敵前逃亡のような意見が大半ではなかろうか?

 志村五郎はそういう男ではない。

 疑問をもったことには、ある徹底したアプローチを取り、自分で納得した範囲で、是は是、非は非と言っている。

 旧制高校、現在なら大学の教養課程で語学を担当した教官を、時代の先端に孤帆を張り、風に逆らって進む知性として捉え、評価したり評価に値せずと考えたりするだろうか?

 私も同じ大学の同じ学部で、すでにこの両者よりもはるかに長い時間、学生たちを教えてきたが、そんな気概を見せる青年は0.5%以下と思う。22年間、5000人教えて思いつくのは20人内外と言う意味である。

 学生・志村はこのように続ける。

 「彼(竹山道雄)の著作のなかで、文学的でなく政治的な文章に不案内な読者には1951年に書かれた『門を入らない人々』をまず読む事をすすめる。それから『ベルリンにて』も。ともあれ竹山道雄を今日論ずるひとがないことを私は惜しむ」

 竹山「門を入らない人々」(1951)や「ベルリンにて」(1956-57)については、稿を改めて私自身、この連載で取り上げることにしたい。


「論ずるひとがないことを惜しむ」と記した志村さんが、すでに新稿を著せない今、生きている私たちが、その言葉を真摯に受け止めて行動することが、何よりも手向けになるように思う。

 上の2稿は志村さんが旧制東京帝国大学生として数学科に学んでいた時期、ならびにフランス、米国滞在を経て帰国し、29歳で東京大学教養学部助教授に就任した年に発表された、竹山さんの仕事である。

 「門を入らない人々」は、左派学生のバリケードで定期試験が妨害されたとき、警官隊の介入で通路が開かれたけれど、そこから学内に入ることを拒んだ在学生たちを示す。


 当時、旧制の東京大学で最高年次に在学していた志村さんは、一学生として竹山さんの論考に触れ、深く心を動かされた。

 また「ベルリンにて」は、いまだ「ベルリンの壁」が出来上がる以前の東ドイツ、東ベルリンの停滞から書き起こされた東側社会経済への疑問の稿である。

 親友・谷山豊の自殺後、それで空席になったポストに着任した可能性があるように思うけれど、東京大学教養学部数学教室に助教授として着任した志村さんが、かつてそのキャンパスで指導を受けた竹山さんの論考として手に取ったものであろう。

 竹山「門を入らない人々」の翌年、学部を卒業していきなり講師として教養学部に着任した志村さんは、フランスそして米国での在外研究生活を挟んで帰国、着任した東大で見たのは、60年安保闘争や「樺美智子さん」の死亡事件で揺れる、大学当局と学生たちの姿だった。

 志村さんが遺された書物には、東大は「レベルが低すぎ」たため、1960年一杯で職を辞したとある。

 しかし、エッセーの他の記載を見る限り、志村さんが60年安保の年に東大を見かぎり大阪に移動したこと、そして1年を経ずしてプリンストン大学に頭脳流出した事実は紛れもない。

 どうやらいろいろあった模様でもあり、日本に帰って来ない覚悟をもって、一家揃って渡米した経緯が察せられる。


なぜ志村さんは東大を去ったのか?
何のレベルが低いのか?

 それは、学生が数学ができるとかできないとか、計算が得手だとか不得手だとかいう以前に、もっと人間として本質的な部分、竹山道雄が批判するような意味での、軽佻浮薄な進歩的左翼への絶望があったのではなかろうか?

 志村さん自身の言葉を引いてみよう。

 「附記すると、進歩的知識人は不思議なことに、いかにソ連が数多くの悪事をしたかに目をつぶったのである」


 「戦争が終わった時、ソ連は日本軍兵士を多数シベリアに抑留して長い間働かせた。これは労働力を得る目的でかなり前から計画されていた」

 「多数の抑留日本兵士が厳寒の下、飢餓と戦いながら過酷な労働を強いられたのである。この事を我々は決して忘れてはならない。これが誰が何度言っても言い過ぎる事はないと思うのでここに書いた」(記憶の切絵図 p.125)

 これを見て、私は志村さんという人を全面的に信用し、また、好きにもなった。

 いささか私事にわたることをお許しいただきたい。 長年の読者はご存知の通り、私の父もまた「シベリアに抑留」され「長い間働かせ」られた兵士の一人であった。

 もっと言えば、クリスチャンであった父の教会の先輩に、志村さんや岩澤健吉さんの指導教官、彌永昌吉氏があった。

 私の父は数理経済に志しながらシベリア抑留と復員後10年近くの寝たきり闘病生活で、何一つ果たすことができず、結局46歳で早世した。

 復員後、従軍しなかった「年下の上級生」たちにどれだけ勉強しても追いつかないという焦燥と絶望を父から聞いている私は、ご存知の方はご存知のように昭和一桁の生半な「碩学」に極めて点が辛い。

 そんななか、志村さんのような人が、こういう思いを胸に長年業績を上げてきたと知って、救われる思いを持った。

 志村さんは続ける。

 「この種の怒りをぶちまけるためにこの書物を書き始めたわけではないが、書いているうちにこうなってしまった」

 「私の時代を生きてきた人々の多くが私に同感してくれるであろうし、また若い人々がその歴史的事実を新たに認識してくれることを願うのである」


志村さんは、明らかに「怒り」を胸に湛えて、これらのことを記している。もっと言うなら(私が見た限り彼の書籍では確認することがまだできていないが)、身近にソ連の参戦やシベリア抑留のために人生を台無しにされた人物がいるのではないかと思う。

 そこに、切れば血の出る怒りを覚える人には、以下のような「進歩的知識人」の発言は、許すことができないだろう。

 「あるとき私は丸山が『朝鮮戦争は南北どちらが先に手を出したなどと論ずるのは意味がない。どちらが手を出してもおかしくない状況があった』という意味の事をいい、また「不可知論」という言葉を使っているのを知った」(「鳥のように」p.105)


 志村さんは、丸山眞男の渡米とプリンストン滞在を機に、一時期は家族ぐるみで親しく交流した時期があった。それが、絶縁することになった。

 会っていても互いに楽しくないから、ということで、志村五郎と丸山眞男とは絶交関係になってしまう。その背景を確認してみよう。

 「さて(朝鮮戦争の)当時私は三年制大学の二年生であった(中略)どちらが先に手を出したかわかりにくい状況にあったかというとそうではない」

 「当時の新聞その他で戦局の推移を調べれば容易に解るように(中略)あっというまに南側、米軍は圧倒されてしまったのである。南側に何の用意もなかったのは明々白々であった」

 「にもかかわらず南が先に手をだしたとか挑発したことにしたい連中が大勢いたために論争が生じたが、それは無理に作られた論争であった」

 この丸山眞男に代表されるこのような欺瞞を、竹山道雄は徹底して憎み、ナチスドイツも、スターリニズムも、左右の別なく狂信的な言説を徹底して批判していた。

 しかし、60年安保に沸き立つ全学連の学生たちは、戦前のファシズムに沸騰したのと同じように、今度は戦後のイデオロギーに衣装を変えただけで、相も変わらず狂信的で思考の停止した、程度の低い行動に終始している。

 その「レベルの低さ」にほとほと呆れて、志村五郎は東大を、そして日本を去ったのではないか?

 竹山道雄は右翼でもサヨクでもない。ただ単に、まっとうな了見をもって、自分の欲得でモノを考えずに判断し行動していただけである。そんな「竹山さん」の姿勢に、志村青年は心動かされた。

 「この作られた論争の根底には『共産主義国の無謬性』に対する信仰がある。無謬とまでいかなくても、ソ連や中共などの行為は常に善であるか、善に向かって進んでいるという信仰である」

 「ソ連に関して否定的ないわゆる『負の情報』は伝えられている限りでもかなりあった。しかし信ずる者にはみえなくなってしまうのである」

 「というより、隠したくなると表現するのが正確であろう。現在、日本で北朝鮮が正義の国で王道楽土だと思っている人は、まずいないであろう」(「鳥のように」p.107)

 上の書物は2010年の奥付をもち、冷戦終了後から20年近くを経て書かれている。


専門で大きな仕事をした数学者が、実は決して浮世離れした自分の世界に閉じこもるのではなく、戦後65年を経ても、いまだ沸々と滾る思いをもって、シベリアの極寒に学成らなかった青年を思い、たぶん間違いなく、たくさん涙なども流したであろう。

 そして、孤独に健筆をふるった竹山道雄を惜しみ、「曲学阿世の徒」(これは吉田茂が南原繁東大総長を批判した言葉であるけれど、志村さんもまた正反対の観点から、1946年の2月に東大で「天長節」を挙行した南原をナマスに斬っている)を一切容赦せず、同じレベルで右往左往を繰り返したゲバ学生やヘルメットのレベルの低さから、ついに日本に見切りをつけてしまった。

 こういう一本気な、20世紀、21世紀の「坊っちゃん」が死んでしまった。私は率直に寂しく思う。


 誤解のないように、私は志村さんを盲目的に崇拝などしていない。実のところ、彼が趣味として愛好していた「音楽」に関する記載は、私がここで触れない方がよいものばかりであったし、追悼文でもあるので言及しない、ということで私の判断をお察しいただきたい。

 専門人の立場からは、率直に言って一番ご一緒したくないタイプの音楽ファンで、実際、生前の志村さんとは一面識もなく終わることになった。

 先に記したように、志村さん自身が「没後の神格化」を大変嫌った。人には、それぞれ適した距離というものがある。

 私にとって志村さんは、書籍や論文で遠くから心の交わりを持つのが適切であった。このような「淡交」があって、良いように思う。

自分もこんな新緑の頃・・・

 志村さんは「記憶の切絵図」に収められた「死について」というエッセーで、小学3年か4年生のとき扁桃腺で熱を出したときの思い出を記している。

 「自分が死ぬ時もこんな新緑の頃であろうかなどと感傷的なことを考えていた」(「記憶の切絵図」p.93)

 奇しくもその言葉通り、5月3日の新緑・・・ただし地球規模の気候変動で古典的な緑がまぶしい日本列島であったかは疑わしいが・・・で人生を閉じられた。

 漱石、夏目金之助を思われる、一本気で喧嘩ッ早く、しかし情にも篤く涙もろい、ある意味で絵に描いたような山の手の江戸っ子「坊っちゃん」そのものと見える志村さん。

 もちろん、多くの限界も短所もあったのだと思う。そんな短所も含め、愛すべきものをたくさん持ち、またご自身も多くのものを愛された。

 そんな人間らしい志村さんが、志村さんであることによって、70歳を超えても旺盛な論文刊行ペースを崩さず、生涯にわたって不朽の仕事を遺された。

 行間から、数学にも後輩にも、様々の事物にも溢れる愛情を注いだ、この数学者・・・いや、一人の傑出した人物の、息遣いも思いも伝わって来る彼の遺稿が、21世紀の「精神の数学少年たち」に幅広く読まれることを心から望む。

 志村五郎は言った。

 「数学は祖述の学ではなく、創造の学である」

 一人の「坊っちゃん」の、この志、この声が、長く未来に木魂することを願って本稿を準備した。

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参考

超難問「フェルマーの最終定理」証明の最重要人物である日本の数学者が死去

志村五郎 スケッチ700ss.jpg



Point
■360年間解かれなかった数学の難問「フェルマーの最終定理」は、まったく無関係に思われたある命題を証明することで解決されている
■その重要命題が日本人数学者の提唱した「谷山-志村予想」だ
■そんな世紀の難問の解決に寄与した偉大な日本人数学者、志村五郎氏が5月3日89歳で死去した



平成の終わりと共に、一つの時代を見届けるかのように偉大な日本人数学者がこの世を去った。

志村五郎氏の名を知らなくても、数学の難問「フェルマーの最終定理」を記憶している人は多いだろう。

「フェルマーの最終定理」は1995年にイギリス生まれの数学者アンドリュー・ワイルズによって証明されたが、実は「フェルマーの最終定理」は志村氏の提唱した「谷山-志村予想」を証明することで解決している。

志村五郎氏の死去に伴い、氏が解決に大きな貢献をした「フェルマーの最終定理」という難問について、できるだけ分かりやすく振り返ってみよう。

志村五郎氏の訃報については、5月3日にプリンストン大学より発表されている。


「フェルマーの最終定理」をめちゃくちゃ簡単に説明する
谷山志村予想「フェルマーの最終定理」ss.jpg


「私はこの命題について、真に驚くべき証明を見出したが、それを記すにはここはあまりに余白が足りない」

360年前、フランスの数学者ピエール・ド・フェルマーはたったこれだけのメモを問題の脇に書き残してこの世を去ってしまった。

このツイッターにも投稿されていそうなフェルマーのメモは大変話題になり、以後この命題は「フェルマーの最終定理」と呼ばれることになる。

「フェルマーの最終定理」は、一見すると義務教育で教わる「ピタゴラスの定理」の拡張版だ。なんだか簡単に解けそうな問題にも見える。

この命題の「n=2」の場合が、直角三角形の辺の長さを求めるいわゆる「ピタゴラスの定理(三平方の定理)」である。



しかし「n」が2なら無限に解が存在するというのに、この「n」が3以上の数字になると「x,y,z」を満たす解は一切存在しなくなってしまう。これがいわゆる「フェルマーの最終定理」の命題だ。

この問題を最終的に解いたアンドリュー・ワイルズは10歳の頃、図書館でこの問題を見つけて「俺なら解けるんじゃね?」と思ったようだ。それはそれでとんでもないお子様だが、しかしこれが大きな罠だった。

「n」が3以上の場合というのは、つまり無限に存在する「n」について、それぞれ解が無いと証明しなければならないわけで、これは非常に困難な証明なのだ。

以後30年以上、ワイルズはこの問題の呪縛に捕らわれることになる。

世紀の難問に光を与えた日本人

「すべての楕円曲線はモジュラーである」

またまた一般人には意味不明なこの一文が、「谷山-志村予想」または「志村-谷山-ヴェイユ予想」の主張だ。

ちなみに数学における「予想」とは、真だと考えられるが、証明することはできていない命題のことだ。「予想」が証明されるとそれは「定理」になる。

だから「フェルマーの最終定理」も厳密には「予想」になるわけだが、そこは証明できたと断言したフェルマーに敬意を払っておこう。

楕円曲線とは数論(数の性質について論じる数学の分野)における理論の一つで、解くと解が数列のような形で複数得られる。

一方モジュラーというのは、簡単に言うと四次元空間の無限の対称性について論じたものだ。

モジュラーの世界のイメージss.jpg
そんな説明じゃさっぱり意味がわからないよ! という人は、上のエッシャーの絵画「サークルリミットⅣ」を見てほしい。



この絵はモジュラーの理論を使って二次平面上に複雑な対称性を持つ模様を描いているので、この絵を眺めて「なんかこういう不思議なパターンを定式化するお話なんだ」と思ってもらえればいいと思う。

この楕円曲線とモジュラーはそれぞれの解がよく似た数列のパターンで得られるのだが、「谷山-志村予想」はこのよく似た解が似ているのではなくて、同じなのだと主張したのだ。

数学のまったく異なる領域の問題が、実は同一の概念を論じているというこの主張は、とても大胆で驚くべきものだった。

最初にこのアイデアを閃いたのは、呼称の中に名を連ねる谷山豊だった。しかし谷山はこのアイデアを思いついた数年後に自殺してしまう。盟友の死を嘆きつつ、そのアイデアを定式化したのが志村五郎だった。

「谷山-志村予想」は一般的にはあまり知られる機会のない理論だが、その後の数々の数学者たちのよる研究で、「フェルマーの最終定理」と結び付けられることになる。

フェルマーの最終定理は楕円曲線に変換可能であり、その解に対応したモジュラーは存在しない事が示されたのだ。つまり「谷山-志村予想」が正しければ「フェルマーの最終定理」はその命題の通りに解を持たないことになる。

二人の日本の数学者によって生み出された数学理論は、このとき長年の数学の難問の解決と直接結びついたのだ。

異なる数学の世界をつなげ、360年来の難問を解き明かした数学者たち


アンドリュー・ワイルズ氏
無責任なフェルマーの証明宣言から360年。この難問は大勢の数学者たちの努力と挫折の末、1995年にアンドリュー・ワイルズによって「谷山-志村予想」を証明するという形で最終的解決を迎えた。

そこには数学の歴史を彩る様々な深いドラマがあった。

今、そんな数学の偉大な歴史に名を刻んだ一人の日本の数学者の人生が幕を下ろした。

50年以上前、自殺してしまった同僚谷山豊氏の偉大な閃きを定式化し、「フェルマーの最終定理」という数学の難問解決に寄与した志村五郎。彼は天国で谷山氏に良い報告をすることができただろう。

「フェルマーの最終定理」を巡る数学者たちのドラマに興味を持った人は、ぜひこの機会に『サイモン・シン著 フェルマーの最終定理 (新潮文庫)』を読んでみてはいかがだろうか。

フェルマーの最終定理 (新潮文庫) - サイモン シン 文庫 ¥853
志村五郎 先生の 書籍 と 物語ss.png
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参考
ラングランス・プログラム= 志村・プログラム

数学の大統一に挑む - エドワード・フレンケル 単行本 ¥2,376

内容紹介
xのn乗 + yのn乗 = zのn乗

上の方程式でnが3以上の自然数の場合、これを満たす解はない。
私はこれについての真に驚くべき証明を知っているが、ここには余白が少なすぎて記せない。

17世紀の学者フェルマーが書き残したこの一見簡単そうな「フェルマーの予想」を証明するために360年にわたって様々な数学者が苦悩した。

360年後にイギリスのワイルズがこれを証明するが、その証明の方法は、谷村・志村予想というまったく別の数学の予想を証明すれば、フェルマーの最終定理を証明することになるというものだった。

私たちのなじみの深いいわゆる方程式や幾何学とはまったく別の数学が数学の世界にはあり、それは、「ブレード群」「調和解析」「ガロア群」「リーマン面」「量子物理学」などそれぞれ別の体系を樹立している。しかし、「モジュラー」という奇妙な数学の一予想を証明することが、「フェルマーの予想」を証明することになるように、異なる数学の間の架け橋を見つけようとする一群の数学者がいた。

それがフランスの数学者によって始められたラングランス・プログラムである。

この本は、80年代から今日まで、このラングランス・プログラムをひっぱってきたロシア生まれの数学者が、その美しい数学の架け橋を、とびきり魅力的な語り口で自分の人生の物語と重ね合わせながら、書いたノンフィクションである。

数学ミステリー白熱教室 (第1回から第4回)動画(フェルマー予想 から ラグランズプログラム)
https://www.youtube.com/watch?v=octSjc1Sk2U&list=PL6iz98WS2YpRGR2egcplCqKnx6PBr3czn


〔NHKスペシャル〕神の数式 (第1回から第4回) 動画
https://www.youtube.com/watch?v=KjvFdzhn7Dc&list=PL6PDU-7OA2gdvu3jhxo1QABgR9SGeCkCb


素数と宇宙。量子力学と一般相対性理論。分離され停止した空間。
https://www.youtube.com/watch?v=NvRAWCfRy-E

〔NHKスペシャル〕魔性の難問 ~リーマン予想・天才たちの戦い~
https://www.youtube.com/watch?v=Kq347dxQYJY

フェルマーの最終定理 【著者】サイモン•シン(青木薫 訳) 【発行】新潮社(新潮文庫) / 「解決!フェルマーの最終定理 現代数論の軌跡」加藤和也著、日本評論社

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文系用読者:「教育者」としてのあの頃の感覚として読む
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フェルマーの最終定理 【著者】サイモン•シン(青木薫 訳) 【発行】新潮社(新潮文庫)

整数に関する問題は、問題を理解するのはやさしいが解くのはとてつもな く難しいことが多い。この本の表題ともなっている「フェルマーの最終定理」 の証明もそのような整数問題の1つであり、アマチュア・プロを問わず 300 年もの間、多くの数学者の挑戦を退けてきた問題である。1995 年最終的に 証明を成し遂げた勝者はアンドリュー・ワイルズという数学者であった。し かし、その証明への取り組みは試練に満ちており、7年間の隠密行動、そし て1度は証明できたと発表して、その後証明に穴があることがわかり1年余 りの間、公にさられた状態での穴埋め作業の末ようやく証明完了というドラ マが書かれています。谷山、志村、岩澤、肥田といった日本人数学者もからみ、困難な問題にチャレンジする人間模様を描いた物語として、一読を。

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理系用読者:「数学者」としてのあの頃の感覚として読む
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【書名】「解決!フェルマーの最終定理 現代数論の軌跡」加藤和也著、日本評論社


1993年6月23日に、プリンストン大学のA.ワイルスが、フェルマーの最終定理の証明を宣言し、その後、証明の不備が見つかり、1年以上に苦考の末、1994年9月19日にその修正に成功したこの期間に、著者が証明の解説として数学セミナー読者向けに書いたものを集めたものである。厳密性はないが、極力丁寧に、正確に伝えようとする、著者の誠実さと、理解の深さが伝わってくる。原論文の 1. A. Wiles; Modular elliptic curves and Fermat's last theorem, 2. R. Taylor, A. Wiles; Ring theoretic properties of certain Heck algebras にも、整数論にも、非常に惹きつけられる内容だった。購入時にも読んだと思われるが、詳しく覚えていないところをみると、理解しようとはしていなかったのかもしれない。むろん、今回も十分な時間をかけて読んだとは言えないが。

以下は備忘録

「砂田利一『基本群とラプラシアン、幾何学における数論的方法』」(p.37)「ワイルス『ぼくは、フライとリベットの結果を知ったとき、風景が変化したことに気がついた。(中略)この時まで、フェルマの最終定理は、何千年間もそのまま決して解かれることがなく数学がほとんど注目することがない数論の他の[散発的かつ趣味的な]ある種の問題と同じようなものに見えていた。フライとリベットの結果によって、フェルマの最終定理は、数学が無視することのできない重要な問題の結果という形に変貌したのだ。(中略)ぼくにとって、そのことは、この問題がやがて解かれるであろうと言うことを意味していた』」(p.67)「清水英夫著『保型関数I, II, III』、志村五郎著『Introduction to the theory of automorophic functions』、Knapp『Elliptic curves』、河田敬義著『数論I, II, III』、藤崎源二郎・森田康夫・山本芳彦著『数論への出発』、上野健爾著『代数幾何学入門』、J.H.シルヴァーマン・J.テイト著(足立恒雄〔ほか〕訳)『楕円曲線論入門』、土井公二/三宅敏恒著『保型形式と整数論』、肥田晴三著『Elementary theory of L-functions and Eisenstein series』、吉田敬之著『保型形式論: ─現代整数論講義 ─』、N.コブリンツ著(上田勝〔ほか〕訳)『楕円曲線と保型形式』」(p.123,4)「田口雄一郎さんの手紙に『Deligne さんの家はこの道の始まりのところ、森の入り口にあります。Deligne さんといへども、森羅万象の真理の最奥に至る道のほんの入口のところにゐるに過ぎないといふ、これは自然による卓抜な比喩であると思われます。ところが、恐ろしいことに彼の子供たちは毎日この道を通って森のむかうの学校に通ってゐるらしいのです。』とありました。フェルマーからの350年は大進歩でしたが、人類が続いてゆけば、それは今後何千年の数学の序曲であり、何段も何段も自然の深奥への新しい段階があることでしょう。」(p.239)「ガウス『どのように美しい天文学上の発見も、高等整数論が与える喜びには及ばない』ヒルベルト『数論には古くからの問題でありながら、今日も未解決のものが少なくない。その意味で、多くの神秘を蔵する分野であるが、他方、そこで展開される類体論のような、世にも美しい理論がある』」(p.245)「岩澤健吉『代数体と、有限体上の一変数関数体は、どこまでも似ていると信じてよい』」(p.246)「志村五郎は『整数論いたる所ゼータ関数あり』と述べたが今その言葉に『ゼータ関数のある所 岩澤理論あり』と続けて考えたい」(p.261)『ゼータ関数のある所 肥田理論あり』ともいえる。
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「フェルマーの最終定理」を理解したい人(参考 書籍紹介)

N.コブリンツ著(上田勝〔ほか〕訳)『楕円曲線と保型形式』
土井公二/三宅敏恒著『保型形式と整数論』
志村五郎著『Introduction to the theory of automorophic functions』
J.H.シルヴァーマン・J.テイト著(足立恒雄〔ほか〕訳)『楕円曲線論入門』
Knapp『Elliptic curves』
河田敬義著『数論I, II, III』
藤崎源二郎・森田康夫・山本芳彦著『数論への出発』
上野健爾著『代数幾何学入門』
肥田晴三著『Elementary theory of L-functions and Eisenstein series』
清水英夫著『保型関数I, II, III』
吉田敬之著『保型形式論: ─現代整数論講義─』
砂田利一著『基本群とラプラシアン、幾何学における数論的方法』

原論文の
1. A. Wiles; Modular elliptic curves and Fermat's last theorem,
2. R. Taylor, A. Wiles; Ring theoretic properties of certain Heck algebras

志村五郎 書籍(日本語 一般向け)
(一部、数学では、一般向けでないものもあるので注意を)

論文集 (志村五郎)
Collected Papers. I: 1954-1965 (Hardcover ed.). Springer. (2002). ISBN 978-0-387-95406-6.
Collected Papers. II: 1967-1977 (Hardcover ed.). Springer. (2002). ISBN 978-0-387-95416-5.
Collected Papers. III: 1978-1988 (Hardcover ed.). Springer. (2003). ISBN 978-0-387-95417-2.
Collected Papers. IV: 1989-2001 (Hardcover ed.). Springer. (2003). ISBN 978-0-387-95418-9.
など

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志村五郎先生の書籍(1部)ss.png


東大受験必読、数学者・志村五郎の遺した言葉 (ちくま学芸文庫 「数学をいかに使うか」(2010) 「数学の好きな人のために」(2012) 「数学で何が重要か」(2013) そして「数学をいかに教えるか」(2014) の4冊)

志村五郎 先生の 書籍 と 物語ss.png
300年来の超難問証明に貢献、志村五郎氏死去 (「整数論」の世界的権威)

Number Theory and Automorphic Forms 整数論と保型形式
http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~kyodo/kokyuroku/contents/689.html

整数論サマースクール 「志村多様体とその応用」
https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~abenori/conf/20150817.html

整数論サマースクール 「保型形式のリフティング」プログラム
http://www.sci.kumamoto-u.ac.jp/~narita/ss2011_proceedings.pdf

整数論サマースクール報告集 「楕円曲線とモジュラー形式の計算」
http://ntw.sci.u-toyama.ac.jp/ss2017/

整数論サマースクール「多重ゼータ値」
http://www.ist.aichi-pu.ac.jp/~tasaka/ss2018/index.html

整数論札幌夏の学校 肥田晴三教授(UCLA)による講義を中心
https://core.ac.uk/download/pdf/42026066.pdf


ワイルズによるフェルマー予想の解決にも岩澤理論は大きな役割を果たした。 また、これ以外にも日本人数学者の結果が大きく寄与している。例えば、 肥田(晴三)の理論が有効に用いられたし、解決への道筋は谷山・志村予想を 経由するものであった。
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参考

2015年11月
NHK (今日、今晩放送! 全4回)数学ミステリー白熱教室 ラングランズ・プログラムへの招待 数学を統一する 数学の理論(特に対称性)の後!「楕円曲線」「表現論」「保型形式論」・・・
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ラングランズ・プログラム(英: Langlands program)は、代数的整数論におけるガロア群の理論を、局所体およびそのアデール上で定義された代数群の表現論および保型形式論に結び付ける非常に広汎かつ有力な予想網である。同プログラムは Langlands (1967, 1970) により提唱された。


ラングランズ・プログラム(英: Langlands program)は、日本の「志村五郎氏」による進展が大きい。

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参考


志村五郎氏死去=米プリンストン大名誉教授・数学(「整数論」の世界的権威)300年来の超難問証明に貢献「フェルマーの最終定理」

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数学の「整数論(志村理論)」と「暗号理論」

大学受験必読、数学者・志村五郎の遺した言葉 (ちくま学芸文庫 「数学をいかに使うか」(2010) 「数学の好きな人のために」(2012) 「数学で何が重要か」(2013) そして「数学をいかに教えるか」(2014) の4冊)

NHK (今日、今晩放送! 全4回)数学ミステリー白熱教室 ラングランズ・プログラムへの招待 数学を統一する 数学の理論(特に対称性)の後!「楕円曲線」「表現論」「保型形式論」・・・

数学をいかに教えるか 志村五郎著 (ナンセンスな教育を斬る)

<数学の女王 「整数論 」 >数学者・志村五郎はなぜ東大を去ったか? 丸山眞男~戦後進歩的知識人との決別の理由/志村理論の始まりは・・・「すべての楕円曲線はモジュラーである」




東大受験必読、数学者・志村五郎の遺した言葉 (ちくま学芸文庫 「数学をいかに使うか」(2010)「数学の好きな人のために」(2012)「数学で何が重要か」(2013) そして「数学をいかに教えるか」(2014) の4冊)

京大受験必読、数学者・志村五郎の遺した言葉 (ちくま学芸文庫 「数学をいかに使うか」(2010) 「数学の好きな人のために」(2012) 「数学で何が重要か」(2013) そして「数学をいかに教えるか」(2014) の4冊)

<数学 「整数論」の世界的権威> 300年来の超難問証明に貢献、志村五郎氏死去 (志村五郎先生のご冥福を、お祈りいたします。)

志村五郎氏死去=米プリンストン大名誉教授・数学(「整数論」の世界的権威)300年来の超難問証明に貢献「フェルマーの最終定理」

数学者(整数論) 志村五郎氏死去 (谷山志村予想とフェルマーの最終定理 300年来の超難問証明に貢献) 2019年 5月3日

数学者(整数論) 志村五郎氏死去 (静岡県 浜松出身) (谷山志村予想とフェルマーの最終定理 300年来の超難問証明に貢献) 2019年 5月3日

京都 VSOP 追悼 数学者(整数論) 志村五郎氏死去 (静岡県 浜松出身) (谷山志村予想とフェルマーの最終定理 300年来の超難問証明に貢献) 2019年 5月3日

300年来の超難問証明に貢献、志村五郎氏死去 (「整数論」の世界的権威)


NHK (今日、今晩放送! 全4回)数学ミステリー白熱教室 ラングランズ・プログラムへの招待 数学を統一する 数学の理論(特に対称性)の後!「楕円曲線」「表現論」「保型形式論」・・・

数学ミステリー白熱教室 (第1回から第4回)動画(フェルマー予想 から ラグランズプログラム)
https://www.youtube.com/watch?v=octSjc1Sk2U&list=PL6iz98WS2YpRGR2egcplCqKnx6PBr3czn


〔NHKスペシャル〕神の数式 (第1回から第4回) 動画
https://www.youtube.com/watch?v=KjvFdzhn7Dc&list=PL6PDU-7OA2gdvu3jhxo1QABgR9SGeCkCb


素数と宇宙。量子力学と一般相対性理論。分離され停止した空間。
https://www.youtube.com/watch?v=NvRAWCfRy-E

〔NHKスペシャル〕魔性の難問 ~リーマン予想・天才たちの戦い~
https://www.youtube.com/watch?v=Kq347dxQYJY
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6Number(シックス・ナンバー)の世界へ ようこそ!(偉人・有名人の記念日・誕生日)APS数学(APS-Math)
子供と計算
志村 五郎(しむら ごろう、1930年2月23日 - 2019年5月3日)は日本出身の数学者(整数論)。プリンストン大学名誉教授

小・中・高校生(研究課題)
素数の世界へ ようこそ! (APS素数 と GPS素数)


志村五郎先生「誕生日」の「素数の世界」



「ダ・ヴィンチ コード」 6Number (シックスナンバー) を拡張としての「対称性の理論」? 例 1930年2月23日


映画「ダ・ヴィンチ コード」(DVDでみた!) 6Numberと6Prime 「素数の暗号」(志村五郎先生「誕生日」の「素数の世界」解答)
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プリンストン大学のA.ワイルスが、フェルマーの最終定理の証明を宣言 1993年6月23日

プリンストン大学のA.ワイルスが、フェルマーの最終定理の証明を修正 1994年9月19日

プリンストン大学のA.ワイルスが、フェルマーの最終定理の証明 (完結)1995年2月13日

感動!「350年の難問解決! フェルマーの最終定理」 1995年2月13日( 数学[整数論]) 歴史
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1987年04月03日 大学の数学科(数理科学科)で学ぶこと (大学生の頃 数学専門の教科書など) 1980年代(後半)頃の教科書


1988年04月03日 大学の数学科(数理科学科)で学ぶこと (大学生の頃 数学専門の教科書など) 1980年代(後半)頃の教科書


1989年04月03日 大学の数学科(数理科学科)で学ぶこと (大学生の頃 数学専門の教科書など) 1980年代頃(後半)の教科書


1990年4月3日 大学(大学院へ)の数学科(数理科学科)で学ぶこと (大学生の頃 数学専門の教科書など) 1990年代(前半)頃の教科書?


1991年4月3日 大学(大学院へ)の数学科(数理科学科)で学ぶこと (大学生の頃 数学専門の教科書など) 1990年代(前半)頃の教科書?


1992年4月3日 大学(大学院へ)の数学科(数理科学科)で学ぶこと (大学生の頃 数学専門の教科書など) 1990年代(前半)頃の教科書?

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(個人的に、「平成30年間」に影響を受けた書籍(一部分))

平成30年の「120冊」  個人的セレクト 数学書(数理科学関係 編)

平成30年間の31冊  個人的セレクト 数学書(数理科学関係 編) 洋書(英語版)
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posted by playmath at 07:07| Comment(0) | 整数論(志村五郎 志村理論) | 更新情報をチェックする
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